”中途半端”を楽しむ。

CFA

新年度になって2か月が経とうとしています。

3月はある程度年度の着地もこなし、有給消化モードに入っていた最中、当時の新年の見通しは「特に役割も変わることもないし去年のルーティンをもう一回やるだけか。」と考えていました。

仕事でもなんでもそうですが、業務の総量は同じでも、初めてやることと2回目にやることとでは、初めての方が1.5倍近い労力を必要とします。必要な知識の取得やスケジュール感、力の入れどころや抜きどころ、人間関係の構築とやることがいっぱいです。2回目となるとこの辺りが分かっていますので、手を抜いている訳でもなく、はたから見れば同じアウトプット量ですから、怠けている訳でもありません。

このブログのどこかでも書いたかもしれませんが、概ね1年前に組織の変更がありまして、大分新しい仕事が増え、2022年度は結構てんやわんやの1年間でした。そのため、CFA試験の申し込みも断念し、きっと負荷が減る(繰り返しますが、アウトプットは変わっていませんよ。)2回目に向けてお仕事を頑張ってきました。

そんな私の魂胆が漏れてしまったのか

新しいプロジェクト3つくらい

を既存業務にアドオンされてしまいました。泣

4月は「まだ年度始まったばかりだし」と現実を見つめていなかったせいか、ゴールデンウィークが終わったらあたりから、猛烈に”何か”に追われています。

部下ではないのですが、サポート役がそれぞれのプロジェクトに付いているので、ある程度は「これやっておいて」とアウトソースできるのですが、ほぼ教育がてらという感じなので、具体的な指示や最終成果物のチェックは気が抜けません。

そんなわけで、既存業務も含めて頭の中では10個くらいタスクが浮いていまして、浮かんでは消して、浮かんでは消してと、あわただしく1日を過ごしています。自分でもいつ何を指示したのか良く忘れるので、言った言わないの軋轢を生まないよう、膨大な量のメールを書くようになってしまいました。笑

ほんと。

終わったタスクは3分で忘れないと

次に切り替えが効かないので、メールの履歴そのものが自分の記憶となっています。まさか「自分何しようとしていたっけ」と1週間前の記憶を思い出すために、自分の送信メールを検索するようになるとは思っていませんでした。その忘却曲線を予想し、少しクドい書き方になってしまっているとは思うのですが、相手に「これら●●して、そのあと○○して、最後に△△することでいいでしょうか?」と背景・目的と共に、かつ確認作業も合わせてなので長いメールを送るのが癖になってしまいました。

相手からしたら”真面目80:くどいやつ20”くらいに思われているんでしょうね。まさか、本人がメールを送った瞬間に案件の記憶をなくし、記憶を呼び戻すためのツールとして使っているとは思わないでしょう。

そんな中、思いついたのが

タスクを中途半端で置いておくこと

です。

通常、サラリーマンの基本は「きちんとタスクを一つ一つ終わらせましょう。」かと思います。もちろん私も、集中すれば15分~30分で終わるようなタスクはきちんと終わらせます。一方で、少しアイデアを足したりと単なる作業でもなく、タスク自体も半日~1日ほどかかるようなものになると、集中力を持たせるだけでも一苦労です。

やはり人間としてモヤモヤのまま手を放すと、「早くやらなきゃ」というプレッシャーに心臓を掴まれ、なんとか一区切りまで、と頑張ってしまいます。そして一区切りついた瞬間の解放感・達成感は嬉しいものです。

年なんですかね。どんどん集中力が持つ時間も短くなってきました。ずっと座っていると腰も痛くなってきます。そして、変に一区切りつけてしまうと

頑張ったから今日くらい

となかなか気持ちが戻ってきません。

そうなんです。一区切りつけたらだめなんです。

勉強もそうですが、一度机から離れると戻ってきません。漫画やテレビ、スマホ、ベットと誘惑はたくさんあります。

勉強は机の前に座ることから

という言葉は今になってとても的を得ている言葉だと思います。

まだ完ぺきを求めていた若いころは「机にいたって勉強しなくちゃ意味がないじゃないか」と思うのですが、やはり精神的ハードルが高いのはペンを動かす前よりも、机の前に座ることのほうが圧倒的です。私は机に向かってしまえば、いくら気が向いていなくても、10分くらい机の上を掃除したり、机から手が届く本をちら見したりと抵抗はしますが、すぐに観念してペンを走らせてしまいます。

このように

どれだけ自分を机の前にいかせるか

にとても頭を使います。

それこそ「あと少しで終わる」という状態で無理やり休憩をいれたり、少し興味のある分野で、比較的前のめりで取り組む範囲になってきたらそのまま続けていくのではなく、わざと離れてみたりと。

無限に体力・集中力があれば変に区切りを入れなくても最初から最後まで終わるんだと思います。しかし、それこそ体力の切れ目・集中力の切れ目・腰の具合と言った物理的な”波”があり、いかに乗りに乗っている精神的なピークであっても、物理的な”波”が切れてしまえば、そこで一旦終了せざる得ません。

いかにこの”物理的な波”と”精神的な波”を一致させるかで、仕事も勉強も進め具合が異なってくると思います。

ちなみに物理的な波は、コーヒー飲んだり、ストレッチしたりと波の起こし方は言わずもがなですが、精神的な波に起こし方は色々工夫しています。個人的には仕事・勉強に近い内容の本をまず読んで興味を湧かせてみたり(アクチュアリーのときは統計の歴史のような本を読んでました。)、やはり異なる分野同士が繋がると面白いので、同時に複数のことを考えてみたりと。例えばAという仕事で使ったアイデアが、一見異なる仕事のBでそのまま使えたりすることがあると仕事も楽になるし、さらにアイデアを深堀することができるので、こういうときはテンションあがります。(AもBも関係者が異なるので、誰も流用したと気づかれず、どちらからも褒められます。)

ですので、わざとこっちの仕事を中途半端にして頭の隅に置いておいて、半分気分転換くらいに別の仕事を考えると、上記のような一石二鳥的な場面は結構出てきます。

これも中途半端の賜物です。

一点気を付けてほしいのは、あまり中途半端なままにしすぎると、終わっていないタスクが増えすぎて、それがかえってストレスになり得るということ。そういう時は、大人しく「一個一個」ちゃんと終わらせていきましょう。やはりある程度余裕がないと、同時に物事を考えたり、ちゃんとコーヒーブレイクできなくなってしまうので。

運用と一緒で自分の身体・心のリスク許容度は見極めておきましょう。

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