アクチュアリーはミドルリターン・ハイリスク。

アクチュアリー

今年もあとわずかとなりました。この時期になると思い出すのが

アクチュアリー試験

今年の日程は12月13日~15日のようです。忘れていましたが1科目3時間も受験していたんですね。今や腰が耐えられるどうか。

アクチュアリー会より

ちなみに来年からはCFAと同様にCBT(コンピュータ形式)になるようです。東京会場はお茶の水になるんですかね?間違えて五反田に行かないように気を付けましょう。

アクチュアリー会より

今やアクチュアリーとは無縁の仕事をしている私ですが、やはりこの時期になると色々思い出します。ただ、年々時と共に当時の苦労やら感情やらは忘れていっています。

自分はものすごい記憶力があるわけでも、だからと言っても1年前から万全を期すために勉強を続けるガッツや自己管理力があるわけでもないので、概ね暑い夏が終わり、勉強がし易い環境になる9月頃から準備を始めていました。

ただし、論文試験対策は暗記でもなく、何かその場のヒラメキ勝負でもなく、結局アウトプットのストック量がものを言わすと思っていたので、日ごろ仕事をしながら自分が疑問に思ったことを書き溜め(これを「ネタ探し」と呼んでいました。)、家に帰ってからノートに情報整理・感想文作成をしていました。

そんな中、周りの平均と比較して早めにアクチュアリー試験は合格したのですが、当時の感情は

安堵感

でした。「アクチュアリー試験に受かる」ために入社して、定例の面談では静かにプレッシャーをかけられ、試験自体を諦めて行った先輩方とその先輩たちのその後のキャリアを横目に見ながら勉強し

やっと人として扱ってもらえる

という安心感です。

特に自分は周りと比較して学歴(まぁ東大・京大がデフォルトの世界。早慶で下位。)がいまいちなものでしたから、同世代と一緒の進捗だと、第三者がポテンシャルで見た時に不利に見えるため、周り以上にプレッシャーを感じていました。

当時は(今もかもしれませんが)、20代の試験受験者を対象に四半期に1回ほど勉強の進捗の面談をしていました。中堅どころの古参アクチュアリーが「試験担当上司」に任命されて、こいつはちゃんと勉強しているのか、今年は何人くらい合格しそうか、ということを会社側として把握します。時には人事にも報告して、採用計画等にも織り込むんでしょうか。

その面談で言われた言葉で、唯一覚えているのが

アクチュアリー試験はハイリターン・ハイリスクだから。」

です。このブログでも過去に言及したかもしれませんが、”ハイリターン”というのは、アクチュアリー試験に合格すれば、金融機関での、それなりの出世を保証してくれるということ、”ハイリスク”というのは、合格しなければ他の同期と5年遅れくらいでサラリーマン人生をスタートしなければいけない、つまりその後のキャリアも「お察し」ということです。

正直なところ、出世が明確に保証されているわけではなく、会社全体としてアクチュアリーとしてのポジション枠があるのか不明ですが、通常入社で資産運用や営業している人と比較すると、圧倒的に上に行きやすいように感じます。一方で、専門職なので、部長や役員と言った席は限られてきますので、「役員になりたい!社長になりたい!」という人にとっては逆に足枷になってしまうかも知れません。

とはいえ、過去には日本生命や明治安田生命ではアクチュアリーが社長になっている事実があります。

リスクについても、さすがに「干される」という言葉のようなパワハラがあるわけではありません。試験に受からない人は当然他の仕事(=大半は営業職)をすることになり、そこには既に、お客さんと上司に鍛え抜かれ、飲み会・接待のセッティングも何の淀みもなく行い、ゴルフのスコアも100を切るため土日にスクールに通うことを苦にしない、バリバリのサラリーマンとなった同世代がいます。

もちろん、ビハインドがあっても追い抜けばいいんでしょ?ということであれば問題ありませんが

なぜその意気込みをアクチュアリー試験で発揮しなかったのか

と突っ込みたいところです。

さて、なぜ上司に言われた「ハイリターン」がブログのタイトルでは「ミドルリターン」になったのかの話をしていきたいと思います。

自分がアクチュアリー試験に受かった時に安堵感と共にやってきたのが

このあと自分は何するんだ

という感情。アクチュアリーは会社の中では「村」と言われるようにビジネスとは一線を画していて、まぁ応用が利かないんですよね。統計論とか人口論とか、最近ではERM(Enterprise Risk Management)という言葉をよく聞きますが、個人的には

大学か百歩譲ってシンクタンク行けば?

と思ってしまいます。結局、アクチュアリーと言えど事業会社の従業員なわけですから、会社が利益を出さないとあなたの給料すら払えないんですよ、と言いたくなります。正直、そのような学術的なことをするのならば”アクチュアリーという資格”はそもそも不要で、無駄に同類が作った試験を解く暇(早くても5年)があったのならば、大学に残って修士なり博士なり進めばいいのに、と思ってしまいます。

どんどんアウトソースの世の中になっていますし、月並みの考えですが最もAI(人工知能)に置き換わってしまいそうな職業です。たいそうな資格と言われていますが、結局ちゃんと「ゼロからイチ」を作り出す人が極々一部で、あとは電卓叩くかエクセルで計算しているか、が大勢なわけですから。

何が言いたいかまとめると、確かにそれなりの給料は頂けるということでリターンは高いのかも知れません。しかし、運用会社や不動産会社のように確定申告するような年収になることはほぼありませんし、正直これから先細っていく可能性のほうが高いですから、「試験に合格する」というリスクは変わらない(ハイリスク)一方でミドルリターンとしました。

試験自体も2000年代に比べると簡単になったとも聞くので、リスクも「ミドル」になったのかもしれません。いつぞやの損保数理も、合格点を50点にしたのに合格率が一桁%という時代がありましたから。当時、その年代の過去問を解いていて、3時間かけても半分も終わらなくて泣きそうになった記憶があります。笑

じゃぁなんでお前は受けようと思ったんだ、という話になりますが、自分の場合

馬鹿じゃないことの担保を取りたい

というのがモチベーションでした。正直、もともと将来ずっとアクチュアリーで食っていこうとは微塵も思っていませんでした。(なので、今の自分があるのですが。)

当たり前ですが、社会人の若手なんて有象無象の集まりです。特に金融機関なんて最初に個を消滅させるのが仕事です。何か発言するにしても、聞く耳を持ってもらえることはほとんどありません。能力があっても、なかなか稀にめぐってきたチャンスで発揮して、認め貰うのは至難の技です。少なくとも行動力があっても、「まだ早い」だったり「君なの?」のような反応をされます。それが年功序列ですから仕方ないことです。

一方で、アクチュアリーを取ってから世界が変わったのは

話を聞いてくれる

ということです。つまり「こいつは馬鹿じゃなさそうだから、少し話を聞いてみよう。」とか、かなり間の悪いタイミングでミスをしても「こいつは根本は馬鹿じゃない。これぐらい”人”だったらしょうがない。」というように、同じことをしたらめちゃくちゃ怒られている同僚を横目に、大分社会人生活が過ごしやすくなりました。

もちろん「若手としては」という枕詞が付くので、いつまでも資格の後ろ盾にすがっていてはいけません。実力を120%に見せようとは思いませんが(あとが怖い)、何もなければ実力の5割掛け評価だったのが、概ねこちらの意図したとおりに受け取ってくれる、という効果はありました。

繰り返しになりますが、いつまでもこの効果は続くものではなく、30代に差し掛かる辺りには消えてしまいます。なぜ30代手前かというと、この辺りになると「若手」という有象無象の集団から、ある程度実績も付いてきて、個々として「あいつはできる」とか「あいつはお察し」と、それなりに評価が定められてきます。

このあたりになると「アクチュアリー」という化けの皮は剥がれ、もう資格があろうがなかろうが、関係なくなります。

そういう意味では、人生の時間節約のために早く資格勉強は終わらせるのはもちろん、若いうちには資格の威を借りてトライアンドエラーの機会を増やし、打率はともかく(重要ですが)、色々やり切ったという実績を得ていきましょう。そしてさっさと資格の威厳に頼らなくても生きていけるようになってください。

少し長めに資格に人生を委ねてしまって後悔している先輩からのアドバイスです。

もう何が出るか分からず、最後の最後のまで足掻いていて、試験の前日の夜に眠れなくなり、絶対こんなところ出ないだろうというところを「羊の頭数」を数える代わりに覚えていたら、まんま2次試験で出題されて、奇跡的に合格したという私がいますので、最後まであきらめず勉強してください。

それまでは「お前は絶対に受からない」と言われ続けましたし、さきほどの問題も「お前しか解けてなかったんじゃないか」と言われました。笑

そんな重箱の隅を突くような、陰湿な試験と言うことです。

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