一般的な雑誌はdocomoのdマガジンで一通り読んでいて、日経ビジネスで気になった記事があったので、紹介します。
タイトルにあるとおり、1954年に発足して60年以上続いてきた箱根学生旅行館連盟が解散したそうです。
私も小学生のころに修学旅行で訪れたり、大学生・社会人になってもたまに旅行で訪れたりしていました。
小学生の頃はゆで卵があまり好きではなかったのですが、大涌谷のゆで卵を食べてから、あの癖が気に入ったのか、ゆで卵が食べれるようになった(むしろ好き)ので大変感謝しています。
箱根学生旅館連盟とは、箱根への修学旅行客の誘致を進めるために1954年に発足し、当時は41軒が加入したそうです。
修学旅行は、まとまった人数を扱うため、受け入れるために大部屋や大浴場、大食堂など大人数向けの設備が必要になります。
また、個々の旅館の特色というよりも、修学旅行向けに町をあげての誘致アピールが必要となるため、箱根町とも共同して歴史や見所をまとめた冊子も作成。
昭和40年には70万人もの修学旅行客を受け入れるようになったそうです。
昭和50年には年間90万人まで成長したとのこと。
変化が生じはじめたのが1990年代。
一つは一般の旅行市場が、団体から個人にシフトし始めたことだそうです。
団体旅行が盛んだったころは100畳の広間を設置したり、さらに200畳に改築といった動きが活発だったのが、大広間が不要というような状況に。
学生の数は平成元年(1989年)頃の200万人をピークに、現在120万人程度まで減少。
高齢者(65歳以上)の人口は1990年ごろは1500万人だったのが今や2倍以上の3500万人。平均寿命も延びていますから、昔の65歳と今の65歳は元気が違います。お金も持ってますしね。
記事では「高齢者の増加」とは一言も記載がなかったのですが、なんとなくマーケットが変わってきたのがうかがえます。
以前は大量の修学旅行生を裁くために大部屋・大食堂が必要でしたが、個人客を誘致するためには、ユニットバス等別の施設が必要になります。
また、もう一つの大きな変化として、修学旅行のあり方が変わってきたということです。昔は「修学」というように訪問先として歴史のあるところ選んで、あらかじめそこの歴史を学んだうえでテーマを持って訪問という形が一般的でした。
しかし、今ではレジャー化が進んで、訪問先としてテーマパークが増えてきているそうです。これに加えて箱根は、2015年の「大涌谷周辺の火山活動の活発化」が大きく影響しました。
修学旅行先は一旦変更になると3年は変えられないという慣習があるそうで、2017年は8000人(ピーク時は90万人)まで減少したそうです。
一連の環境変化で、連盟に加盟する旅館・ホテル数も7件まで減少し、今回のやむを得ない対応に至ったそうです。今はインバウンドが増えてきているそうで、今後はインバウンド向けに強化されてくとのことです。