試験勉強はコスト。アクチュアリー試験受験のその後。

CFA

今年のアクチュアリー試験の試験要領が7月1日に開示されました。過去は今頃から募集が始まって8月中旬頃が締切りだったと思うのですが、CBT形式になったせいか試験申込の期間が10月3日から10月31日となっていました。

2022年度資格試験要領(本紙) | アクチュアリー会

試験会場も今までは東京・大阪だけだったのですが、かなり選択肢が増えたようです。今までホテルの確保等も必要だった地方の学生も、受けやすくなったのではないでしょうか。

東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県内の各地の他、札幌市、仙台市、名古屋市、京都市、大阪市、神戸市、福岡市の各会場で実施。 詳細はプロメトリック社のWebサイトにて、ご確認ください。

アクチュアリー会ホームページより

受けやすくなったとはいえ、一度入り込んでしまうと「村」と言われるほど狭い世界にどっぷり漬かってしまうアクチュアリー業界。サラリーマンの中では金融機関という相対的に安定・高待遇ではありますが、アクチュアリー(後々に取得する年金数理人や保険計理人も含む)は取得したからと言って

独立(経営者)する

という選択肢がなく、サラリーマンとして生きていく必要があります。いわゆる弁護士や会計士と同様に数千時間を費やして合格したとしても、給与面にアッパー(制限)があることには要注意です。これはアクチュアリーに限らず、証券アナリストやCFAも同様です。

そう考えると独立できない資格を取得することに意味があるのでしょうか。

学歴もない、実家に帰っても田舎なので仕事もない、東京での遊び方も知らない、と22歳で生まれて初めて東京に訪れた私は、そのまま一人で居座って今に至ります。大学の友達もいるじゃないかと思うところですが、地方かつ理系だったので、東京に本社はあれど意外と地方の工場・研究所配属だったりと、会う機会がなくなってしまいました。(学部でも金融機関は自分くらい。)

今振り返るともちろんお金もないし(ないどころか奨学金の返済があったのでマイナス)、人脈どころか友達も1人もいない状況でこの都会にやってきたので、まさに”上京”でした。

そんな中、唯一決まっていた「やること」がスカイツリーにいくのでも六本木のクラブに行くのでもなく、アクチュアリー試験でした。

もちろん友達(=会社の同期)と過ごすのも楽しかったのですが、農家か工場のおじさん・おばさんくらいしか知らない私はサラリーマンの出世なんて良く分かりませんし、起業なんて当時は違う世界の言葉。とりあえず「アクチュアリーに受かってから考えよう」くらいにしか人生を考えていませんでしたので、とりあえず勉強優先の生活をしていました。

裸一貫で地方からやってきて、今さら逃げ場のない身として、アクチュアリーに受からなかったときのリスクも恐怖でしたから。

その後5年ほどは「おまえいつも半年くらい行方不明になるな」と言われるように、試験勉強に身をささげていたわけです。

無事試験勉強が終わったのもつかの間、別の疑問が湧いてきます。

この試験勉強に意味があったのか?

最初の会社の同期(非アクチュアリー)の多くが私に豪語していましたが「資格試験している暇があれば、ガンガン仕事して、ガンガン飲み会行って人脈作るぜ!」というのが正解なのでしょうか。確かに”知識より経験”は否定できません。世の中の経営者の経歴等を見ると、大学受験の過去はあれど、試験勉強に時間を費やした話など聞いたことありません。

もちろんそれは数万人に一人の限られた才能や運を持っていた人たちの一例であって、私のような凡人に当てはまる話ではないのかと思います。一方で、凡人として、そろそろサラリーマンとして”若手”を卒業しつつある年頃になってきた私が思うに、資格試験のリターンがゼロとは思いません。

こう見えて学生のころはサッカーに明け暮れていたのですが、当時の顧問の先生に言われた言葉で

頭を使ってゲームしろ。馬鹿じゃ勝てない。

という言葉が非常に頭に残っています。頭に残っていますが当時は良く分かっておらず「馬鹿でも才能があればいいんでしょ。足が速かったり、ジャンプ力があればすぐ勝てるようになる。」と思っており、ひたすら基礎トレに明け暮れ、身体能力の強化に時間とエネルギーをフルベットしていました。

振り返って見れば受験勉強も同じように挑んでいました。

試験範囲や傾向なんて不要。絶対的な暗記力と数学センスがあれば東大だって受かる、と思い込んでいました。もちろん、日本に片手ほどしかいない天才ならばそんなムーブを繰り出すことができるのでしょう。しかし、所詮偏差値の範疇に収まっている人間は上位(偏差値70)と言われても100人に2人、偏差値80でも1000人に一人です。受験勉強で「おれ偏差値70だぜ!」とブイブイ言っているやつも、いわゆる「モブ」でしかありません。

スポーツもそうですが仕事もバカじゃ勝てないんです。

試験勉強のデメリットは何と言っても費やす時間ですが、メリットは2つあると私は考えています。

①成果の明確性

これは若い時(入社5年目まで)ほど効果が大きいのですが、なんといっても「試験に合格した」という実績の明確性です。嘘も付けないですし、不合格者との横比較も容易です。

私も過去に上司に言われたのですが、若手は評価がしにくいということ。

シンプルに業績を比較しようにも、周り先輩と経験と知識が圧倒的に違うので、当たり前ですがそうすると評価が下がってしまう。じゃ同期同士の中での比較をしてしまうと、何せサンプルが「その世代」だけと少ないですから、誰か圧倒的にできるやつがいると他を相対的に下げざる得ない、と色々悩みが尽きないそうです。

究極は定性評価のみ、という選択肢もありますが、評価結果としては第3者から見ても合理的であることはもちろん、本人(被評価者)から見ても合理的であること=後から文句がでない、でなければいけませんからやはり何か定量評価を組み入れなければいけない。

そうすると資格試験は難易度も色々あるし、評価者としては打ってつけの材料だということ。もちろんこれで100%の評価を付けるのではなく、部分的な、とはいっても最も客観的な実績なので相応に重要視されてしまうとのことでした。

これは若手だけでなく、意外と今の私の年代でも当てはまることなのですが、嬉しいことに毎年「お前のことうまく言いたいからなんかない?」と査定の時期になると評価者から聞かれます。

「こんな案件やりました」とか「こういうレポート書きました」とか「アクチュアリーという意味の分からない知識を使ってみたらこういう効率化できました」とか、それなりに成果物を提示して説明するのですが、「もうちょっと分かり易いもの」と言われます。

そんなときに一番「それだ!」と言って貰えるネタが資格試験です。

私も半分趣味(ボケ防止)みたいになっている活動ですし、さすがに「試験取ったのですごいでしょ!」と言うような年頃でもないので(それより仕事しろ!と言われそう。)、あまり自分からCFAを含めて言わないようにしていました。しかし、なんだかんだ定期的に評価者が変わっても試験勉強にポジティブな反応を頂けるのは想定外でした。

②なんだかんだ教科書的な知識は必要

今やアクチュアリーやCFAという資格をほとんどの人が知らない中で仕事をしています。そのため、業務もアクチュアリーやCFAの知識は必要ありません。ですが、進研ゼミではないのですが、

あ。それCFAで出たところだ。

となるところが結構多いです。

例えばアクチュアリーで言うと統計的な話であったり、CFAでいうとM&Aの会社評価や株式・債券市場の内容などでしょうか。そんな毎日知識をひけらかしている訳ではないのですが、意外と世の中の人は「手を動かしてはいるものの、良く分かってない」ことが多く、年に数回は「誰か知っている人いないですかね?」という案件に駆り出されます。

その内容を100%知らなくても、金融・経済・会計的なところを日本・海外隔てなく、網羅的に知っているので「それは日本基準目線だなぁ」とか「それはIFRSから来ている」のだろうと、なんとなくgoogleの検索バーに”何か”を入力する速さは誰よりも速い自信があります。

つい最近の具体的な事例としては、英語の文献で翻訳に描けると「信用状」と出てくるが、全体として文章がおかしくなる、何やら「貿易」と関係あるのだけど、何か知らない?というものでした。周り数人に聞いたが納得するような回答が得られていない様子で、業務経験の少ない私に「もしかしたら」という具合に聞いてきていました。

最初は「信用状」と聞いて全く見当がなかったのですが、英語で「Letter of Credit」と聞いてピンときました。CFAでも出題される、貿易の際に金融機関が出す短期融資(Short-term Funding)の一種です。私も初めて「Letter of Credit」を聞いた時は、貿易のためだけの融資にわざわざ固有の名詞を付けるなと思っていましたが、その聞いてきた人も同じ反応をしていました。

やはりビジネス全般の知識はCFAでの内容が多いですが、社内業績や広告データの分析をしてくれないか?という仕事が舞い降りた時にはアクチュアリーの知識が役に立ちます。なにかトレンドの変動性の大きさや、ランダムでない(何かトレンドがある・関係性がある)ということを客観的に示そうとしたときに、リスクや相関と言った言葉は皆さん知っているのですが、それを手で(エクセルで)自ら出そうとすると意外と手が止まってしまうようです。

データ系列さえあれば、息を吸うように統計結果を出すよう訓練されてしまった私は、「前の仕事でこんなことやってたんですよ」と言いながら、ざっくりとした計算方法を紹介することが多々あります。

そのときの「なんだこいつ」という周りの反応はもう慣れました。

というわけで、はたから見れば試験勉強という無駄な時間を費やしてきてしまった人間ですが、裸一貫で東京に出てきた自分を起点として考えると、いまのところは「勉強してきて良かったな。」という一旦の結論を導き出しています。

数千時間を費やしてきたという正常化バイアスがかかってしまいそうですが、心を鬼にして、四六時中常に「今出そうとしている結論は勉強していなかったら導き出すのにプラス何時間かかるのだろう?」ということを考えています。

「勉強せずにいた自分」の想定は難しいのですが、今のところ凄まじいコミュニケーション力もないですし、英語力も2年かかってTOEIC750点ですから、試験勉強をしていなかった自分はどんな抜け殻なんだろうと思います。

私の仕事のモチベーションは「出世したい」「稼ぎたい」ということではなく「怒られない」「楽しく仕事していたい」なので、今のところは人に必要とされることもある=邪険にはされていないということなので、資格試験のおかげで目的は達成されているということなのでしょう。

今後も知識のインプットとアウトプットのバランスを意識して、「あいつは知識だけだ」と言われないように頑張って行きたいと思います。

タイトルとURLをコピーしました