「椅子理論」という言葉が巷では流行っているようです。
「椅子理論」という言葉自体は、何か学術的に定義されたものではなく、、複数の経済学的・社会学的視点を分かりやすく説明するための比喩として使われているようです。
もともとは、経済学(ケインズやマーシャル?)における労働市場の競争原理を分かりやすく説いたもので、簡単に言えば
給与は個人の能力でなく椅子に紐づく
という内容です。
白鳥的椅子理論とは労働市場モデルの一である。限界生産物は個人ではなく仕事に固有のものであり、労働者は学歴等を根拠に訓練費用の少なさをアピールし、より高生産性の椅子に座るために就職活動を行う。その後の賃金は努力ではなく、そのゼロサムゲームでどの椅子を奪い取ったかで決定される。
確かに世の中には能力高かったり、労働時間が長いほど給与が高いという仕事は存在しますが、それこそ官僚のように明らかに能力が高く業務時間も長い人の給与よりも、「WINDOWS2000」と比喩されるように窓際社員で年収2000万円の人がいたりと、給料のバランスがおかしい現象が生じています。
これはまさに自分も「違う世界の話」と割り切れない話で、前職だった日本古来の金融機関では、おそらく年収500万円~800万円の若者が死に物狂いで働く一方で、定時で帰る”平”管理職のほうが圧倒的に給料・退職金も高いというのはマジマジと見てきました。前職はWINDOWS1200くらいでしたが。
もちろん、プレイヤーは仕事を取ってくるのが仕事、マネジメントはマネジメントすることが仕事のため、マネジメント=管理職の業務としてはチームをうまく機能させること・決めることが役割期待であるため、一概に業務時間と給料が比例するものではありません。私個人としては、むしろ相談しやすかったり、タイミングを選ばず判断してほしいのでマネジメントには暇を持て余してもらっているほうが良いと考えています。
ここで疑問視しているのは
”平”管理職
のことであって、管理職とは名ばかりに部下を持たない完全なプレイヤーで、一方で管理職であるため残業代が付かない代わりに、最初から高い給料を貰っている者を指します。加えて、日本企業の場合、管理職で勤務したほうが退職金が”かなり”優遇されるため、年収どころか生涯賃金では圧倒的な差が出てきます。
前職ではこのような人たちをたくさん見てきましたし、自分も若いころは「なんだあいつら。人生の負け組だ。」と卑下していましたが、それなりに人生経験を積んだ目で見てみると、彼らこそ
圧倒的な人生の勝ち組だ。
ということに気づきました。
給与と退職金にも触れましたが、日本の金融機関の場合、さらに「役職定年」以後の人生にも大きく管理職(”平”含む)になれたかなれなかったかで影響が出てきます。
そもそも役職定年とは「定年が55歳」であった頃の名残で、1980年代以降平均寿命の延びと共に定年が60歳(令和の今では65歳)に延長されても、部長や次長といった役職を一度降ろされるというものです。
半沢直樹にも出てくる
「片道切符の出向」
というのはほとんどこの時期のもので、55歳に到達すると役職は降ろされ給与は少し下がる(とはいえ、先ほどの”管理職”に留まるので給与は高い)のですが、それ以降の出世は完全に閉ざされることに加え、60歳以降も会社に残るとすると、アルバイトに近い給与になってしまいます。
個人的に60歳以降も働く人いるの?と思うのですが、前職もそうだったんですが、これが意外と多く、60歳以降もそれなりの給与(感覚的に年収800万円)を保とうとすると、他社に転籍し、そこで出世していくことを狙うパターンが多いです。
第一子出産が30歳以降の場合、第二子・第三子出産が40歳近くになるので、もし子供が大学院まで行こうものなら、やはり60歳以降もそれなりの収入がないと心配になるそうです。あと、子供も巣立ってやることないからという理由も多い印象です。なお、出向期間が2年程度あって、その間に出向先の会社に骨を埋めることに決めることを「転籍」と呼びます。
「そこまで働くのか」という感想が先立ちますが、もし転籍先の会社でうまく行って常務・専務という役員になってしまえば、60歳以降もそれなりの給与が維持される(片やアルバイト並みの給料)ことに加え、役員退職金として前職に加えて2回目の退職金を貰うことができるので
生涯年収では数千万(しかも後半の)
の差が生まれてくるわけです。金融機関はほぼなんの目立った活躍もできなかったですが、ワンチャンこの数千万でゴルフ会員権を買うなり、別荘を買うなりできるわけですから、確かに残りの暇な人生をこれにかけてもいいかもしれませんね。
当時55歳の上司が20代の自分に対して
いいか役員になることを目指すな。まずは管理職になることを目指せ。若いころはそれじゃつまらないと思うかもしれないけど、それ以降の人生が天国と地獄になる。それを気づいてからじゃ遅い。まずは何が何でも管理職になれ。
と、上司自身、彼の卒業が近くなると悟った瞬間、こういった内容を何度も聞かせてくれました。これがまさに椅子理論そのものだと、振り返って思います。
前置きがだいぶ長くなりましたが、椅子理論とは給与が能力でなく役職(ポストといったほうが馴染むんでしょうか)に紐づくことは多々あります。外資もそうでしょうし、日本の年功序列が強い会社はまさにそうかと思います。
30歳も半ばになると、20代では見えなかったものがいろいろ見えてきて、特に「能力があるから出世していく」というのは比較的若い内で、そのポスト(次長・部長級)が上がれば上がるほど時の運だったり、人の縁というのがそのポストを勝ち取るうえでのファクターになってくることがわかりました。「能力がなくても」というのは語弊で、やはり次長・部長予備軍となるとそれなりに能力もそろっているので、あまり能力値が65点なのか60点なのかは誤差で、あとは巡り合わせや人事から見た相性ということが重要になってってくるのかと思います。逆に若い内にはポストもたくさんあるので、この100人に入るために「点数が上から選ばれる」であれば60点か61点かは死活問題で、あきらかに61点の者が優先して選ばれます。
椅子理論にはもう一つライフハック的な考え方があります。
2位じゃなきゃダメなら座る椅子が間違っている。千人座れる椅子の999位を目指さないと。
努力の方向というか、競争に参加する前に自分が有利になる土俵を探すというものです。具体的には、特に何の取柄もない帰国子女が「英語が喋れるから、グローバル企業で活躍しよう」と考えるのではなく、この場合「英語が喋れる」という優位性を失うのでむしろ英語が誰も喋れない伝統的な日本企業に入ってグローバルな仕事をしたほうが明らかに給与が高いというものです。
強みが活きない場所には行ってはならないということ。
・阪大卒や神戸大出て、関東系の会社に就職
・理系卒でメガバンク入って支店営業
・MARCH行って関西系や地方企業に就職
・東大出て、営業成績で勝負させられる会社
等々全部余計な苦労するだけだからやめた方がよい。
逆に言えばスポーツ選手や音楽家は椅子理論とは両極に位置するものです。日本で2位はおろか1位でも、それなりの給料が貰えるか疑わしく、成功している人の再現性はほぼゼロです。
まさに前述の上司の言葉も「無理して100人に一人なれるかなれないかの部長を目指すのではなく(役員となるとまた一桁違う)、まずは10人に一人を目指せ。」ということです。正直、日本の企業では管理職が年収1200万円、部長が1600万円、役員が年収2000万円程度と考えると、常に庶務のおばさんにも気を使ったり、土日も接待ゴルフいかなくてはいけないこと、加えて税引き後で考えるとあまり待遇が良いとは思えません。ちなみに税引き後(=手取り)ではそれぞれ870万円、1090万円、1300万円と給与(額面)の伸びに対して手取りの伸びは半分になるようです。
累進課税恐ろしい。
椅子理論では加えて、いかに椅子を獲得するかという議論では「学歴」というものが重要とのことです。新卒という、誰もがゼロスタートの中で、唯一形になっている成果が学歴ですので、その初期アイテムの強さが椅子の取り合いに有利働くというのです。
「バカとブスこそ東大に行け」も暗黙のうちに学歴椅子説に基づいていますね。もし競争が弱者にとって後々まで要塞になるような椅子の入手に繋がらず、入学や卒業した後もたゆまぬ努力、成果や競争を求められるなら、バカとブスが行ってもしょうがないでしょ。
ただし、一定年齢を超えると、その学歴という初期アイテムは消費期限を迎え、その後は「実績」というアイテムを互いに使うことになるので、「人生のピークが18歳」「30代になると学歴は役に立たない」「お勉強だけできても仕事ができないと価値がない」と罵られるので要注意とのこと。
さて、この椅子理論の中ではアクチュアリーという職業が最適解だと思いました。
まず、最初から1番を狙う人がいません。
明治安田生命や日本生命等でアクチュアリーが社長になったケースは最近でもありますが、他の常務・専務、営業部の部長等含めると、それはとても低い確率です。過去に新人研修で
おれは社長になる!
と豪語していた同期の営業職は数多見てきましたが、アクチュアリー候補生でそのようなことをいう人は見たことがありませんでした。むしろ自分も含め「やれと言わてもなりたくはない。(マイペースにリスク計算をして過ごしたい。)」という人間しかいません。
加えて、アクチュアリーに受かる(正会員になる)とよっぽどのことがない限り管理職になります。これはずるいと思う人がいるかと思いますが(実際営業職から何度も言われましたが)、営業職の場合、10人に一人程度の割合で管理職になる一方で、アクチュアリー採用に勝ち抜く(体感営業職の5倍)ことに加えアクチュアリー正会員になる(新入社員の50%)ということを踏まえると、同じくらいの難易度かと思います。
学歴も東大・京大でなくて全然良いですし、要は試験に受かれば良いのですから。
同様の資格の弁護士や公認会計士と比較すると、独立開業のアッパー(=夢)がない分、大企業という看板・福利厚生の元、年収1000万円を下回っている人を見たことがありません。日本の金融機関の給与の重心が後半にあり、アクチュアリーもその例に漏れないため、20代半ばで正会員になった若者は、すぐ外資に転職すると年収が3~4倍になるというのをよく耳にしました。
少ない椅子は無理に狙わない一方で、それなりの椅子は100どころか
全員分用意されています。
先ほどのWINDOWS1200も、前職では一人どころか、部長・次長級を除く40歳以上は全員”これ”でした。(30代はまだギラギラが残る人はいます。)
繁忙期はありますが、それ以外はアクチュアリー会の活動があったり、そもそも「正しく数字を出す」ということが役割ですので、せかせか働かれて数字を間違えられても困りますしね。私自身も外を見るまでは「サラリーマンってこんなもんか。」と真面目に思っていました。我々としては役割を果たしている分、WINDOWS(窓際)ではないと思っていたのですが、働き方・気力(もともと殺気立った人が来るところではないので)については世間から見ればたしかにそう見られても仕方がないかと思います。
何を隠そう「計算してればご飯が食べれる」と言われアクチュアリーの世界に飛び込んだのはこの私ですので、老後はこっちの椅子に戻れたらなと思っています。