”事前の期待”では、歯医者は間違いなく、ピンクのロールスロイスでお迎えつきのロック・ミュージシャンや、印象派の絵の値段を吊り上げている投機家や、自家用ジェット機のコレクションを持っている起業家よりも、かなりお金持ちだ。
「まぐれ」より
今回は不確実性科学を専門とするナシーム・ニコラス・タレブ(Nassim Nicholas Taleb)の「まぐれ(英題:Fooled by Randomness)の内容をご紹介したいと思います。
ビットコインが上昇しています。円安の影響もあってか1500万円を超えました。コロナ禍には一時60万円まで下落していましたので25倍です。
「あまり儲かりすぎると最大税制55%が」
と嫉妬丸出しの言葉しか出てきませんが、海外ではビットコインのETFも承認されたりと一昔前と比べて投資対象として一般認識されてきましたので、ビックチャンスを掴んだ方もたくさんいるのではないでしょうか。
なお自分は、1ビットコイン700万円(2021年11月頃)に買って、2023年にかけての暴落で確か300万円台の時に手放した負け犬側の人間です。
さて、こういった波に乗れて儲かった人が「勝ち」であることは間違いないのですが、
投資家として上手い
ということなのでしょうか。
プロの投資家でも「技術があった」のか「ただ運が良かった」のか判断することは難しいそうです。運用の要素を「ランダム性」と定義し、いかにこのランダム性を排除した部分=運用成績を抽出・比較することが重要と言っています。逆に技術的な部分は「再現性」が重要な視点になってくるとのことです。
確かに世の中には「自分は継続的に周りより優位な成績を上げている」ということをいう人がいます。この反論に対して一つ、面白い思考実験を挙げています。
1億人に100円(※)を与え、トーナメント戦を行います。勝負はコイントス(裏表が出る確率は50%)で決め、負けたほうは買ったほうに持ち金すべてを渡すというものです。1回戦は負けたほうが100円を勝ったほうに渡します。2回戦は負けたほうが勝ったほうに200円を渡すというゲームです。(※本では1ドルでしたが、分かりやすいように100円にしました。)
20回戦もすると、人数は100人程度になり、その100人は各々1億円を持っていることになります。確かにこの人たちは1億円を持っているのでお金持ちです。「おれはゲームに勝ち続けてお金持ちになったんだ。」と自慢する人や、それこそSNSで勝負に勝ち抜いてきたことを発信する人も出てくるでしょうし、中には
「億り人になった10の秘密」
と題する本を出版するかも知れません。秘密も何も
コイントスに勝った。
以上の内容はないはずなのですが。
このように継続して勝負で勝っている人であっても、それが運なのか実力かを見極めることは難しいことがイメージできたかと思います。一方で、運か実力かを見極める思考法として
ライプニッツの可能世界意味論
が有効だとしています。
哲学では、「必然性」やそれと対になる「可能性(偶然性)」という概念について、「可能世界」という概念を使って説明をすることがある。なお、もともと「可能世界」という概念は17世紀から18世紀にかけて活躍したドイツの哲学者・数学者G.ライプニッツが考え出したと言われており、現代哲学や論理学(特に様相論理学)においては重要な概念となっている。東海学園大学より
要は「実現しなかった可能性を辿った場合」も含んで、「実現した場合」を評価しようというものです。宝くじに当たった人は、その1度の人生で100%宝くじに当たっているのですから、本人が運のおかげなのか、毎日神社にお参りしていることが実力だと論じることは結果論でしかないので自由です。しかし、もう一度人生を繰り返したときに同様に宝くじに当選するかは本人も自信がないでしょう。
冒頭の歯医者とミュージシャンも、同様に人生を繰り返すのならば歯医者は100回中90回くらいは裕福な人生を過ごすことができ、ミュージシャンはもしかするとあと99回は平凡または過酷な人生が待ち受けている可能性が高く感じられます。
観測された結果と観測されないけどあり得た結果の両方を考慮すべきだなんて、むちゃくちゃだと思うかもしれない。ほとんどの人にとって確率と言えばこれから起きることの話で、もう結果がわかっている過去の話ではない。もう起きたことの確率は100%、つまり確実だ。この点はたくさんの人たちと論争した。私が神話と実話を区別できないなんて、陳腐な批判をしてくれる人たちだ。でも、神話、とくにソロンの戒めみたいによく練られた神話は、味気のない現実よりもずっと協力(だし、私たちに経験を与えてくれるもの)だ。
「まぐれ」より
運用の世界ではこの”結果論”的な事象を「サバイバルバイアス(生存バイアス)」と呼びます。運がよく成功した事象に捉われ、結果が良かったからと闇雲に手を出すと痛い目に逢うというよくある逸話です。まさに再現性を見極めようという話です。
どんな分野(戦争、政治、製薬、投資など)でも結果で成績を測ることはできない。あり得た他の可能性(つまり、歴史が違った道を辿っていた場合)こコストを測るべきだ。
世界が多数とか人生をもう一回とか、かなり宗教的な話になっていますが、実は物理学の世界ではとても一般的な考えです。物理学の必修科目として習う量子力学では、この多世界解釈は必ず受け入れなければならない考え方です。(コペンハーゲン解釈と言われます。)
「シュレーディンガーの猫」と呼ばれる量子力学にまつわる逸話では、世界が2つですが、多世界解釈として一般的に有名な話かと思います。
観測者が箱の中身を確認するまでは、猫の生死は確定しておらず、観測者が蓋を開けて中を確認した時に初めて事象が収縮して、それにより猫の生死が決まる。そのため、箱を開けるまでは、生きている猫の状態と死んだ猫の状態が重なり合って存在している。
なお、屁理屈をこれでもかとこねくり回たような量子力学ですが、これが成り立たないと、我々の実生活も成り立ちません。トランジスタと呼ばれるパソコンやスマホの部品は、まさにこの量子力学を実用化した例です。また、現在新聞等でも取り上げられるようになった量子コンピュータも量子力学、つまり多世界理論の応用の一つです。
偶然について、思いかけず深く理解しているトレーダーはときどきいる。
レストランバーで夕飯を食べたとき、コイントスで負けたほうが勘定を持とうという話になった。私が負けて支払いを済ませた。彼は私に「ありがとう」を言いかけて突然やめ、こういった。「僕は確率的に半分支払ったぞ」
「まぐれ」より
最後に著者は、この難しい思考を実務的・定量的に可視化する手段としてモンテカルロシミュレーションを紹介しています。モンテカルロ・シミュレーションとは、ある不確実な事象について起こりうる結果を推定するために使用される数学的技法です。難しい話に聞こえますが
とりあえず全パターン見てみよう
という力技に近い手法です。物事には分布というものがあるので(コイントスは50:50とか、男性の身長は170cmが平均であって182cm以上は全体の2%程度とか)、その形を前提にランダムに事象=世界を概ね全パターン作ります。概ね全パターンになるような数ですので、エクセルなのかパソコンとの処理能力と相談して1万~10万程度のパターン=シナリオを生成します。
トレーダーになった瞬間に私はモンテカルロの数学の中毒になった。偶然に関することならば、私はほとんどの場合、モンテカルロを使って考える。(略)モンテカルロの数学は計算方法というより考え方である。数学は計算するための道具ではなく、深く考えるための道具なのだ。
投資の世界で具体的に紹介すると、債券は安定資産として概ね1年間で-2%~2%のリターンが想定されますが、冒頭のビットコインは1年で2倍になることもあれば1/5になることもあります。(-80%~+100%)
例えば世界最大の機関投資家であるGPIFも、ポートフォリオの策定においてはモンテカルロシミュレーションを活用しています。
https://www.gpif.go.jp/topics/Adoption%20of%20New%20Policy%20Portfolio_Jp_details.pdf
モンテカルロシミュレーションは、大人になってから私が見た中で一番おもちゃに近い。ランダムなサンプル経路を何千でも何百万でも生成して、その特徴のうち大事な部分を見ることが出来る。(略)数学がわからなくても、18歳のキリスト教系レバノン人が、一定の回数だけロシアンルーレットを続けて行って、そのうちお金持ちになるのは何回だとか、死亡記事が出るまでに平均で何回かかるかとかを調べることができる。
※レバノン人の例えは、著者が実際にロシアンルーレットの賭けでレバノン人の友人を亡くしたことに由来
モンテカルロシミュレーションは有効だという一方で、サンプルを生成するうえでの前提条件を設定しなければならず、その設定で様々な課題があることについてもこの本では触れていますが、長くなるので今回は割愛します。
なお、この著者であるナシーム・ニコラス・タレブは、一世を風靡した「ブラック・スワン」の著者でもあります。10年前くらいに流行に乗って買いましたが、当時何も分からず読んだので、もう一度読もうかと思います。